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成長すること

工学博士、上原春男氏の言葉より
『成長するものだけが生き残る』
サンマーク出版


人間というのは本来、成長するようにできています。

成長がおぼつかないとしたら、それは外的要因ではなく、
自分自身の姿勢や考え方に原因があるのです。

そもそも、なぜ人や組織は成長しなければならないのでしょうか。

「成長しなくても、現状維持で十分だ」という人や企業の経営者がいるとしたら、それは重大な危機を招くことになります。
成長するものだけが、生き残るのです。
現状維持にとどまるものは、即、衰退に向かうのです。
伸びている会社でも、その現状に満足してしまったら、その瞬間にその組織は下りの階段を転がり落ちていくことになります。

成長したいという欲求は、人間だけがもつ欲求で、他の動物にその欲求はありません。

心理学者のマズロー博士がいうように、私たち人間は低次元の欲求から始まって、しだいにそれを高次元化させていく。

つまり欲求を段階的に「進化」させていく動物です。

衣食住が満たされたら、次は知識欲、さらには自己実現欲というように、
たえず欲求を高度化させずにはいられません。

しかしそれは悪いことではありません。
その欲求の進化こそが、人間に「成長」を促す大きな動力となり、幸福の要因ともなるからです。

ささやかな望みから大きな夢にいたるまで、一つひとつ目標を描き、それを段階的に達成していくことに人間の喜びや幸せがあり、また、その達成プロセスを通じて自分自身の能力や人間性を高めていくこと、それが成長ということなのです。

したがって、私たちが欲求を満たし、それを進化させていく過程とは、そのまま人間が成長する過程であり、その意味で、人間はもともと「成長したい」という欲求を供えた動物であるといえます。

そして、その自然の欲求に沿って成長をめざすことが、人間に生きる活力やエネルギーを与え、さらには充実や幸福をもたらす原動力となるのです。

それは企業の例をあげるのがわかりやすいはずです。
なぜなら、企業ほど絶え間ない成長が求められる存在はないからです。
つねにきびしい競争にさらされ、その競争に勝ち抜くためにたえず成長していくことを宿命づけられています。

また、その成長度、衰退度が売り上げや利益などに数値化されてはっきりと表れるのも企業の特徴です。

したがって企業がその成長を止めれば、たちまちそれは売り上げや利益の減少となって表面化します。

成長を止めて、生産性が低下した企業は、ユーザーや消費者の要求に十分にこたえられず、市場の支持を失いつつあることを意味するからです。

それが続けば企業は長期的な衰退を余儀なくされ、従業員の生活を保障することもままならなくなります。

つまり人々に価値ある製品やサービス情報を提供し、社員の幸福にも寄与するという、企業の目的や社会的責任を果たせないことになります。

この企業社会の現実を、私たちは個人の生き方としても肝に銘じるべきだと思います。

どんな人も組織も、成長意欲を失った時点から、やる気や活気が薄れ、能力の後退、創造性の低下へとまっすぐにつながっていってしまうからです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そっかー!
自然の欲求に沿って成長をめざしたいですね!
φ(..)メモメモ


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困るのは悪いことじゃない

困ったことある方に、オススメの言葉です。

本田 晃一 著
「人生でもっとも大切なこと」より
フォレスト出版


困るのは悪いことじゃないんだわ。
困ったら英知が出るよね。
だから困るのは薬よ~。

どんなに悪い状況でも、
人間ってやつは、絶対夢を見る。
いいかい、絶対夢を見るんだよ。

悪くなればなるほど、
豊かになりたいって夢を見る。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「困るのは薬よ~。」
いいね!!
(*^。^*)

自分を愛する

渡辺和子 さんの著書「幸せのありか」より


自分を愛するということは、利己主義になることではない。
人を押しのけ、自分だけがスポットライトを浴び、
みんなからほめてもらう…
それは利己主義です。

そうではなく、縁の下の力持ちの自分を惨めに思わない。
これが私なんだと受け入れることができる。
他の人と比べて、いろいろなところで見劣りがする、
でも、これが私なんだ、せめて私が、
お前を愛してあげるからね、
他の人はあんまり愛してくれないかもしれないけれど、
がっかりしないで、私がお前を愛してやるから、と。

四六時中、一緒にいる自分を愛せなくて、どうします。
軽蔑しかできない人といるのは、誰だってごめんこうむりたい。
ところで、いつも自分と一緒にいるのは、自分なのです。
その自分がどんなに惨めであっても、愛想をつかさない、嫌わない、いじめない。

私たちが、好きな自分と一緒にいるということは、
機嫌良く生きることができるひとつの秘訣です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ごもっともです!
「自分が嫌い」と言う人、多いです。
でも自分に一生付き合うのは自分だけですよ。
(*^。^*)いたわりませんか?自分

それはいつか

マザー テレサさんの言葉より


思考に気をつけなさい、
それはいつか言葉になるから。


言葉に気をつけなさい、
それはいつか行動になるから。


行動に気をつけなさい、
それはいつか習慣になるから。


習慣に気をつけなさい、
それはいつか性格になるから。


性格に気をつけなさい、
それはいつか運命になるから。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
実は怖い話・・・ですね。
(・_・;)





人間の祈りは神さま以上

メルマガ「観なび・神なび」より


―――「人間の祈りは神さま以上」―――

小さな旅 大きな自然に触れて
神さまを観じて 晴れやかな心

宇宙に近しい 神さま
宇宙の平和のために働いている。

人間の祈りの力も 借りながら
地球を含めた宇宙の調和を図る。

しかしながら嘆かれていること。
あまりに人間の 祈りが少ない。

人間の「宇宙の平和」への祈り
たくさんのその祈りが束ねられ

そのエネルギーが 力となって
神さまはお役目を果たすことに。

残念ながら 大事なこの時に
その祈りの力が まだまだ足りない。

神さまは 嘆いていらっしゃるよう。
人間の祈りは神さま以上バズーカ砲。

面白い 表現だが真実らしい。
そのためにこそ人間として生まれた。

「祈り」
宇宙のための祈り 調和を図る祈り。
その為にこそ人間が今 在るという。

宇宙全体の 一粒の存在であるが
大事な役目を負って生まれ来た。

それが 本来の人間の姿かもしれません。
宇宙と人間 人間と細胞 細胞と分子と

小さな存在は 大きな存在のため
大きな存在は 小さな存在を育む。

不即不離 一体となって 
それぞれが役割を果たす

「すべては ひとつ」である。

大きな存在のために祈ることで
大きな存在と ひとつとなって

小さな存在から 大きな存在への
そこに本当の目覚めはあるような。

そのとき きっと「自分が宇宙である」
そのことに気づくことができるでしょう。

一日一回でも
「宇宙が平和でありますよう」
「宇宙の調和が取れますよう」と祈る。

すると神さまは光ったその魂に気づき
にっこりとして その光を使って頂く。

それで 何が心の内に起きるか
是非とも体験してみてはいかが。

神さまに 願い事は 止めて
祈りでお仕えしていく感覚が 
本当の神さまと人間の関係かもしれません。 

◇皆様の 魂の弥栄(いやさか)と
幸せを心より祈っております。

宇宙が平和でありますように。
地球とその自然が輝きますように。
総ての次元の魂が輝きますように。
________________________  

メルマガ「観なび・神なび」

発行責任者  ありがとう三昧堂 みろく字蔵
問い合わせ  kamnavi@aehko.com
記事の特集  http://kamnavi.ti-da.net/c202877.html
登録・解除  http://merumo.ne.jp/00612913.html
________________________
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「人間の祈りは神さま以上バズーカ砲」
そのためにこそ人間として生まれた。

「宗教の自由」がある日本人はあまり祈る習慣は定着していないのかもしれませんね。
天皇陛下は毎朝、世界平和や国民のための祈りの行を
するそうです。結構長時間だったと思います。
(*^_^*)

苦しい時こそ笑顔でいこう

「なぜ成功者たちはフシギな習慣を持っているのか?」より
宝島社


あのダイアナ妃は笑顔を作る練習を日々行っていました。

アンジェリーナ・ジョリーも、なんとなくやる気が出ない日は、
早起きして近所の公園をニコニコと笑いながら散歩することがあるといいます。

オードリー・ヘプバーンも、
「この世で一番すてきなことは、笑うこと」
だとし、特に
「誰かと一緒に笑うことは、魔法の力を持っている」
と語っています。

一日の始まり、シャワーでさっぱりとしながら、前向きな言葉を発し笑顔を作る。
それだけで、前向きな気持ち、幸福感、社交性、
思いやりを得ることができ、笑顔に溢れた生活を送れるのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
山口百恵さんも
松田聖子さんも
毎日鏡に向かって笑顔で自分をほめるそうです。

誰にでも簡単にできる事のはずです、が・・・ね。
(*^_^*)

お客様ぶらないこと

志賀内泰弘氏の言葉より
『「また、あなたと仕事したい!」と言われる人の習慣』
青春出版


恥ずかしい話をします。
私は、若い頃、クレーマーでした。
レストランで食事をして、もし冷たいスープでも出されようものなら、文句を言って温め直してもらうほどでした。

大きなパーティの幹事をしたときには、ホテル側の接客態度が悪いと指摘し、料金を負けてもらったこともあります。
(今、思い出しても赤面です)

でもその後、態度を改めました。
それは、一流と呼ばれる人たちとお付き合いするようになり、客として「もてなされる側」の心構えを目の当たりにして学んだからです。

たとえば、一流のホテルマンは、ホテルに泊まるとき、決してお客様ぶったりはしません。
もしスタッフがミスをしても、「今度から気をつけてね」と笑顔で応えます。
「きっと夜勤で疲れていたんだろう」と慮(おもんぱか)る。
そもそもの根底が、「泊まってやる」のではなく、「泊まらせて」いただくのだと思っているからです。

タクシーに乗るときにも、「乗せて」いただく。
レストランで食事をするときにも、「食べさせて」いただく。

こちらはお金を支払うお客ではありますが、「○○させていただく」という姿勢を忘れません。

それはなぜか…。
相手の気持ちがわかるからです。

いつも、お客様をおもてなしするという仕事をしています。
それが、どんなに大変なことで、どれほど気くばりを必要とすることか身をもって知っているのです。
だから、どんなミスをしても赦(ゆる)してあげることができる。

仮に、どうしようもなく接遇の悪いホテルやレストランがあったとします。
そんな場合でも、彼らは「残念だなぁ。私ならこうするのに」と「気づき」と「学び」のいい機会として、サラリとやり過ごしてしまいます。

「お客様ぶらないようにする」ことは、人を思いやる心の原点です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
見習ってほしい人、たくさんいますね・・・。
自分も気を付けます。
(~_~;)


アゴを上げる

内藤誼人氏の言葉より

『人は「暗示」で9割動く』すばる舎


なんとなく覇気がなく、消え入りそうなほど小さな声でしゃべる人がいるとして、その人の発言がみんなに信用されることは考えにくい。
元気のない人は、人を動かすエネルギーにも欠けるのである。

強がりでもいいから、ハッタリでもいいから、とにかく自分は元気なんだぞ、こんなにバイタリティに溢れているんだぞ、まだこんなに若いんだぞ、という姿を見せないとダメである。

どうすれば、元気そうに見えるか。

それは、アゴを20度あげるようにするだけ。
たった、これだけである。

アゴを20度あげれば、だれでも、うつむいた顔ではなく、未来を見つめるような、そういうイキイキとした顔になる。

だからこそ、広告のモデルが写真に映るときには、アゴを20度あげるのだ。

カナダのモントリオールにあるマギル大学のA・マイノルトは、アゴの高さを10度きざみであげたり、下げたりした顔の表情のCGを作り、それをたくさんの人に見せて、どのように評価されるのかを調べたことがある。

すると、アゴを20度上げたときに、快活な表情だと認知されることがわかったのである。

ついでにいうと、アゴを30度も上げると、今度は尊大で威張った顔になってしまうので、アゴを上げるのがいいとはいえ、上げすぎるのもよくないので注意してほしい。

逆に、うつむいた顔をしていると、太陽や照明の光の関係によって、目のくぼみや口元などに陰ができてしまい、「なんだか暗い人」と思われてしまう。

英語では元気を出しなよ、頑張りなよ、と他人を励ますときに「Keep your chin up」という表現を使うが、文字通りに直訳すれば、「アゴを上げなよ」である。

どんなに気分が滅入っていようが、アゴだけは上げておこう。

アゴを下げなければ、あなたはやる気を失っていないように見えるからである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なるほど!これは二重あごの予防にもなるかも!
(*^。^*)


自分にやさしく

鈴木 秀子さんの言葉より

「ゆるす愛ゆるされる愛」
大和書房


自分に厳しい人は、相手にも厳しくなっていくものです。
自分に厳しくするというのは、
自分の落ち度をゆるさないということです。

いつも自分を叱りつけています。

自分で自分を叱りつけて、自分自身を
「ゆるせない存在」にしてしまうと、
他の人もゆるすことができません。

そうなると、だんだん人間関係はこじれていきます。

人にやさしくするためには、
自分にやさしくすることです。

まず、自分をゆるしてあげるところから、
ゆたかな人間関係が築かれるのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そうしましょう!!
ヽ(^o^)丿

地獄は「ある」と思った方が良い

生田 一舟 さんの言葉より

「禅とマネー」
アスペクト


人間は百%死にます。

そして、
誰も死後の世界は死んでみないとわからないという前提の下、

もし地獄などないと考えたり、
魂の不滅を信じずに一生を送った人は、

向こうへ行ってみて天国と地獄があった場合、
まず心の準備ができていませんし、

生前の悪行に対してブレーキが働く動機が少ないので、
多くの人が地獄行きは必定です。

一方、地獄があると考えて人生を送る人は、
そもそも備わっている良心に加え、
あんな恐ろしいところには落ちたくないという心の制御が働きますので、

比較的人生を堅実に送れるでしょう。

また、そう考えている人が、あの世に行って、
もし地獄がなかったとしても、何か損になることがあるでしょうか。

そのような人が、
「ああ、地獄がないなら、あの時、人を騙して“ひと儲け”しとけば良かった」
などと考えるはずもありません。

地獄の物語を持つことで、心に歯止めがかかり、

今生を堅実に渡れて良かったということだけではないでしょうか。

ですから、この世のあとにはあの世があり、
あの世の暮らしはこの世の生き方で決まると考えた方が、やはり得策です。
~~~~~~~~~~~~~~~~
昔にくらべて、移動するのも速くなり、情報伝達も速くなった今、
この世でした悪行は、あの世どころか、
五年後にはもう自分に降りかかってくるのではないでしょうか。
誰かを騙して、その瞬間、一時的にはうまく行っているように思いますが、
振り返ってみると、正直にいた方が断然良いのです。
例えば奥さんや旦那さんを騙して不倫にはまっている人も、
一時的な快楽や幸福感はあるかもしれませんが、長い目で見たときはどうでしょう・・・
やはり、五年後くらいには自分に降りかかってきそうです。


・・・とおっしゃる方もいます。
自業自得という言葉もあるくらいですからね!
(+o+)



プロフィール

ニジオラ

Author:ニジオラ
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知識欲が旺盛なアラフォーの熟妻です^^

ヤフーのお悩み相談などを見るのが好きで、一人で笑ったり、怒ったり、突っ込んだりしています。
(~_~;)

スピリチュアルな事がメインです^^


ここがあなたの「癒し」の場になれば嬉しいです^^

仲良くしてくださいね!!
(^_-)-☆

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